〜 商工会改革を提案し新時代の商工会を開く 〜

商工会改造プロジェクトは、長野県宮田村商工会に勤務していた元経営指導員 湯沢健二が これからの商工会のあるべき姿について意見発表を行い、全国の心有る同士諸君と議論する超前向きなページです
組織改造論
開かれた商工会
商工会館
商工会館
商工業者だけが集まって運営し、商工業者だけのために活動する「閉ざされた商工会」では、地域からも行政からも理解を得られません。平成15年度あたりから田中康夫長野県知事は「開かれた商工会」という言葉を口にされるようになりましたが、私たちは平成11年度からこのことに具体的に着手してきました。
具体的な取組状況は次のとおりです。
1.平成11年度村おこし事業において村をあげた組織作り
  商工会は黒子に徹し、住民代表、農協、行政などが商工会と対等な立場で参加
2.平成11年4月、村おこし実行委員会委員を公募
  非会員委員が多数参加
3.平成15年9月、「宮田村の経済を考える会」発足
  委員は、理事会とのつなぎ役である商業部会長1名を除いて、農業者、主婦、学生など商工業者以外
4.平成16年4月、特別会員制度ができ商工業者ではない
  2名の方が会員となる
 このうち宮田村経済を考える会についてもう少し述べてみましょう。
「商工会とはこういうものだ」「商工会が行う事業はこのようでなくてはならない」「昔からこうしてきた」・・・。このような先入観が、商工会の役員にも職員にも染み付いています。これを打ち破るには、新しい血を入れることが絶対に必要です。そこで、理事会の承認を得た上で、商工業者ではない方々を一本釣りで集め、委員会を作りました。農業者、主婦、学生と、村外で企画などの仕事をされているKさんに、県外出身の私。当初、商工業者は理事会とのつなぎ役の商業部会長一人だけとすることで、遠慮なく自由に事業を企画し進めていただきました。
 誤解から、「何で商工会に関係ない人たちが勝手にやっているんだ。」というような意見も出ましたが、今は「商工会員ではない人たちが、あんなに活発に活動している。俺たちも負けていられない。」という考えに変わってきました。

極限まで早く総会を開催するわけ
総会資料製本風景
総会資料製本風景
 例年4月なかばに総会を開催していますが、中でも一番早く開催した年は4月13日でした。「田舎だからきっと簡単な総会資料なんだろうな」と思われるかもしれませんが、そうじゃありません。添付する会員名簿を除いても印刷面が75ページありますからね。資料づくりだけでも大変です。
  5月下旬に総会を開く商工会が多いですが、それですと、4月と5月は事業をやらずに会議ばかり開催しているということになります。商工会は会議をやるために存在するのではありません。年度の全部を使って事業をやるというのが宮田の考えなのです。
  ですから、2月3月についても税務で忙しいから事業はできないなどとは絶対にいいません。4月の半ばから3月末までめいっぱい事業を推進しているのです。

急流の中で足を踏ん張る
伊那谷から中央アルプスを望む
伊那谷から中央アルプスを望む
 商工会関係者の中には、収益事業などの新事業を行う商工会がいいのか、従来の商工会がいいのか、という視点でこれからの商工会を論じる方がいます。しかし、これは間違っています。いままでどおりでやれるなら結構だけれども、すでに周囲の状況は変わっています。商工会も変わらざるを得ないのです。
 たとえていえば、めまぐるしく周囲の状況が変わるさまは、川の急流に身を置いているようです。このままでいたいと足を踏ん張れば、余計に思いもかけない場所に流されていきます。このような時、皆さんはどうしますか?自らの力で泳いでいくでしょう。今とは違う場所ではあるけれども、自分の行きたいところに向かって全力で泳いでいく。商工会関係者に求められているのは、この姿勢です。
 補助金に頼ることをやめて自ら財源を作り出し、制約のない自由な発想で生まれた事業を進めるか、補助金が減るにつれて事業と人を絞り、縮小均衡の結果、魅力に乏しい商工会を作るのか、この選択が求められているのです。        写真名:風景2

コメント:伊那谷から中央アルプスを望む

嵐の中を進む船
商工祭
商工祭
 補助金削減や市町村合併など商工会を取り巻く情勢が急激に大きく変わっていくさまは、大海を行く船に後ろから大きな嵐が襲いかかってくる状況に例えることができます。船は商工会、嵐はこれまでは予想できなかったような大きな環境変化です。
嵐の中に巻き込まれてしまった後では、大きな波に翻弄され船は自分の目指す方向に進むことはできません。逆に、いち早くスタートを切り、迫りくる嵐のスピードを読んで、それよりも早く進めばどこまでいっても巻き込まれることはないのです。
宮田村商工会が通常考えられないほどのスピードで新規事業を立ち上げ、前へ前へと進めていくのには、このような考え方があるからです。
私の手法には理事会でも批判があります。「事務局主導だ」「湯沢一人の考えで事業が進められていく」というものです。事務局長からも「湯沢君の考えていることと、他の職員の認識にレベルの差がありすぎる。みんなのレベルに下りてきて理解を求めて動いてくれ」
その通りです。私も、委員会に提案して、委員会から三役会や理事会に持ち上げるというルールは守っています。最初に提案した時点から半年1年かけて理解を求めてから具体的な行動に移ります。旅行業もストーリーサインも循環商品券もそのようにやってきました。
ところが私は、一つのことがスタートする前に次の展開を考えています。大体予測しているのは3年先です。このペースが周りと合わないので、どこまでいっても認識にズレが生じます。
とにかく常に理解を求める努力をしなければいけないので、反省もしていますが、嵐が迫っている中では、走りながら考えるとか、走りながら理解を求めるということが必要な時代なのだということを分かっていただきたいと思います。
戦国時代、北条氏の合議制は平和な時代には有効でしたが、秀吉の大群が迫るという非常時には効果なく無様な結果を招いたことを忘れてはいけません。

分業化と組織化
絵本「おさべ親王と梅が里」
絵本「おさべ親王と梅が里」
 事務局が数名で構成されている場合は、あまり上下関係を作らず、事務局長が全体を掌握して、他の職員は担当業務を分担するだけでよいと思います。序列にこだわると人間関係でよい結果は生まれません。
 しかし、業務が拡大し職員も増えてくると、権限委譲と組織化ということを考えないと、皆が忙しがって走り回っていても仕事はまわらないという事態になります。
 事務局長は、全業務の中から人事関係など局長の権限で行うべき業務を除き、残りをたとえば2名の職員に分けて権限委譲します。このとき注意すべきことは、誰がどの分野を受け持つのかを分かりやすく分けることと、ただの分担でなく限度を明確にした権限委譲をすること、そして部下をつけることが必要です。そしてまた、部門ごとに同じように権限委譲をしていきます。間に合わない仕事は部門の中でそのチーフがやりくりし、できないときは事務局長に事情を話し善処してもらうことになります。
 これをやらない限り、幅広い事業を実施することは困難です。        (絵本)HPバックナンバーから

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